させる?してもらう?

こんにちは。先生にゆうたろうです。

 

f:id:eastjima:20210812223758j:plain

グランビレッジ茨城さんにて日帰りBBQ。

夏は本当に素晴らしいと感じる今日この頃です。

 

さて、教育実習に行くと「(学習)指導案」と呼ばれるものをほぼ確実に書かされます。

簡単に言うと授業のガイドブックみたいなやつで、生徒にこんな感じで教えますよ〜ってのを文書化するんですよね。レイアウトや内容がそこそこきっちり決まっているので、それに合わせて書く必要があります。良くも悪くも役所っぽい。

ぶっちゃけそれ通りに授業するわけじゃないのでこんなん作ってもなーと思うんですが、建前というか、いわば通過儀礼みたいなやつです。

 

指導案の中で、「生徒にどんなことを実践してもらうか」という項目があります。

大学の指導では「『~させる』ベースで書きましょう」と習うと思います。「〇〇について考えさせる」「△△についてグループで意見をまとめ、発表させる」みたいな感じですね。指導案の授業取るの忘れてたから実際どうかは知らん。

ちなみに、他の実習生と授業内容について相談する時もこんな感じで、「ここは生徒に考えさせて〜」とか「発表させて〜」「書かせて〜」みたいに話が進みます。

 

…でも、僕はちょっと苦手なんですよね。

そもそも、生徒には「させる」ものなんでしょうか。

 

教師という職業はちょっと特殊だと思っていて、スタートラインから上下関係があります。知識を持つ者/持たざる者の関係です。つまり、システム上どうしても「上」から言うことになります。だから、そうは思っていなくても無意識的に生徒に「やらせる」という考えになっちゃうと思うんです。

でも、生徒目線で考えるとたまったもんじゃない。強制されるものに面と向かって向き合える人ってそんなに多くないんじゃね?と思うわけです。大人になるほどそうですよね。しかも生徒ってそういうのに敏感だから、空気読んで上手いことやってるように見せる。それぐらい普通にやってのけます。怖。

 

代わりといってはなんですが、僕は「してもらう」という表現をできるだけ入れ込むようにしています。教師側が何かするのではなく、生徒が「やってやってもいい」と自発的に動く。教師はそれを促す役ってニュアンス。

もちろん、文言の話なので実際の指導はそんなに変わりません。ただ、教える側がそういう意識を持っておくことは大事だと思っています。どうしても構造上の上下関係が存在する以上、半ば押し付けるような形になってしまわないように注意しないと、生徒を授業に惹きつけるのは困難。本質的な授業理解を求めるなんて夢のまた夢でしょう。

授業の構成を考える時、どうしても技術云々に話を持っていきがちですけど、本来授業ってそんなんじゃなくて、極論どういう意識で臨むかってところだと思うんですよね。

教師と塾講との違いはそこにあるんじゃないかなーとなんとなく考えていたりします。

 

多分、教師ってのは、生徒に「してもらう」ように「させる」のが仕事なんでしょうね。知らんけど。

 

ではまた、次の記事で。